2008年02月05日
チベット
よく聞く名前ですよね!
チベット(チベット文字:????; ワイリー方式:Bod)は、清や中華民国政府が中国大陸を支配していた1940年代までは独立国家1国による領域であったが、1950年以降に中華人民共和国の軍事侵略を受け、現在は上記領域の大部分(チベット民族の伝統的分布範囲とほぼ一致)を中華人民共和国が実効支配し、二つの省級の自治体と、隣接する3省に分属する4つの自治州などに行政区画し、現在もその統治下にある。
1955年 - 1959年に「中華人民共和国政府による占領、併合」に抗議するチベット動乱が勃発して十数万人のチベット難民が発生、チベット亡命政府のもと、異議申し立てが行われている。
名称
チベットを示す漢字表記として名高い西蔵は、中国大陸では、1725年ごろから現在にいたるまで中央チベットとその周辺だけをさす地域呼称として使用され、アムドやカムを含むチベット全域の総称としては使用されていない。日本では明治期から昭和中期にかけて、中華民国や中国国外の華僑等の間では近年、Tibetの訳語として「西蔵」を用いる例がある(→西蔵、西蔵地方参照)。チベット全域をさす漢字表記による総称としては、主として清代に通用した土伯特、唐古特等がある。
領土
チベット人の各級区域自治単位が設定されている領域「チベット」とは何か について、チベット人は、伝統的に「ツァンパを食べるチベット人」が住まう所、「観音菩薩がいきものたちを教化する『仏法の国』」等と考え、「チベット三州」、「小チベットと大チベット」などの名称で総称してきた。たとえばアムド地方の東端に位置するチョネ(甘粛省ケンロ州)の領主は明朝、清朝より代々土司職の冊封をうけ、「楊」という中国姓を持つほど中国政権とは密接な関係を持っていたが、この領主が1774年に執筆させた一族の歴史の中では、「中国 (rgya nag) 」の「コンマ」(=中国の君主)との関係を誇らしげに掲げる一方、自身の所領については、「中国 (rgya nag) 」に属するのではなく、チベットを構成する一地方として描き、チベットの総称として上記の2呼称をふくむ各種の呼称を列挙紹介し、チョネの所在を「「馬の州」ドメー」もしくは「大チベット」の一角に存在する土地として提示している。
これに対し、現在チベット人が居住する上記領域の大部分を軍事力を元に支配統治している中華人民共和国は、上記領域の西南方の二分の一ほどを占める地域に「チベット族」の「自治区」として「西蔵自治区」を設け、残る地域は隣接する各省に分割して帰属させ、「内地」(・中国本土)に組み込むという行政区画を行っている。
以下、チベット民族の分布、チベット亡命政府が主張するチベット国家の領域、中国共産党の一党独裁国家である中華人民共和国による「チベット」の枠組みの変遷について順次解説する。
(以上、ウィキペディアより引用)
なぜかチンギスハーンと組み合わせで思い出します。
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